« 2024年5月 | トップページ | 2024年7月 »

2024年6月

2024年6月 4日 (火)

東北大学片平キャンパスへ

 仙台を代表する存在感を持つ東北大学。

 先日、青葉山新キャンパスと川内南北のキャンパスを散歩し、気持ちの良い空間を味わうことができました。


関連記事


 そして、雨宮キャンパス跡の厚生病院訪問と、最近東北大学のキャンパスシリーズとなっているので、久々に片平キャンパスにも行ってみたくなり、寄ってみました。

 

東北大正門 なのに。。。

 片平キャンパスへの公共交通機関でのアクセスは、仙台駅から徒歩15分と歩ける距離ですが、最寄地下鉄駅は東西線の青葉通一番町駅から徒歩6~7分、そして南北線五橋駅から5~6分と、アクセスは良好です。

 一方、いわゆる八木山ラインと呼ばれる、御霊屋橋経由向山方面のバス停として、「東北大正門前」があるためか、知らない人はこのバス停を使いがちですが、かなり遠回りなうえ、裏門のような場所に連れていかれびっくりします。

Img_9558-2

 開いているのは右側の歩行者通路のみで、真ん中の門は常に閉ざされ、文化財的な存在なのでしょうか、威厳はありますね。

 

重厚感のある本部棟

 門を入って静かな並木道を進むと、左側に本部棟が見えてきます。

Img_9536

 ここは総長室があるなど、東北大の本丸です。古い建物ですが、昔の雰囲気を残しながらもリニューアルしており、素敵な建物です。

 その向かい側には、魯迅の像があります。訪問時でも中国人観光客がおり、お花が供えられていました。

Img_9535

 本部棟の裏側には、有名な魯迅の階段教室があります。自分も10年位前に一度入って話を聞いたことがある以来でしたが、こんなひっそりとした場所にあり、積極的には見学できないのが勿体なく感じます。

Img_9546

 本部棟のこのアールの曲線がたまらなく美しい。

Img_9547

 本部棟の奥には、東北一の高さを誇る仙台トラストタワーが借景としてなじんでいます。右の建物は法科大学院が入るエクステンション教育棟。

Img_9537

 本部棟の裏には、サンモール方面からの近道である、北門があり、片平キャンパスの実質的なメイン入口となっています。

 片平キャンパスは、コンパクトに見えて、通研(電気通信研究所)がある片平南キャンパスまで、意外な広さにびっくりします。

Img_9553 

Img_9554

その他、レトロな建物が残っている多元研(多元物質科学研究所)

Img_9539

Img_9531

同じくレトロな建物の東北大学史料館。

Img_9543

Img_9533

 小規模なイベントや講演会の開催場所として使用される片平さくらホール。

Img_9538

 近所の方や観光客と思われる方々も通るものの、人通りは多くはなく、ゆったりした時間が流れていました。

 

青葉山への移転集約は幻に

 片平南キャンパスを抜けると、新しい建物が。よく見たら、東北学院大学のホーイ記念館で、この部分は東北大から学院大が購入した場所と気づきました。

Img_9555

 当初は、片平キャンパス全体を、雨宮キャンパスのように完全売却して、青葉山新キャンパスに移る構想もありましたが、地価の下落などで青葉山新キャンパスへの移転費用が賄えず、通研がある片平キャンパスのみの移転に一旦計画が縮小されました。

 その際には学院大が片平キャンパス全体を購入してキャンパス集約用地とする計画が、大震災の影響で結局片平キャンパスの移転も大幅に縮小され、通研もキャンパス内に新棟を建てることとなり、残された学院大側の約8千平米のみが学院大へ売却されました。

 東北大としては、雨宮キャンパスこそ青葉山新キャンパスに集約できたものの、それでも片平、川内(南北)、青葉山、星稜と市内中心部4か所にキャンパスが分かれている状態が残り、非効率さは否めないものの、それでも、レトロな建物が数多く残る東北大発祥の地である片平キャンパスが結果的に残ったことは、良かったと思います。

 ここは雨宮キャンパスのように幹線道路に直接面している訳ではなく、学院大も隣接する文教地区ということから、超高層マンションなどのような再開発は困難で、雨宮ほど高地価で売却することは難しかったことが、結果的に幸いしました。写真は学院大の土樋キャンパスです。

Img_9557

 ただし、学院大が片平キャンパスを購入できなかったために、五橋アーバンキャンパスが生まれたことは一長一短で、五橋の校舎は地下鉄直結でアクセスは良くても学生にとっては土樋と片平南が一体でキャンパス集約された方が、授業への移動もキャンパス環境も良かったのかなと感じました。

スポンサーリンク


 

| | コメント (0)

2024年6月 2日 (日)

新築移転 仙台厚生病院へ

 ゴールデンウイーク明けに、市内上杉エリアの旧東北大学農学部(雨宮キャンパス)跡地へ、仙台厚生病院が移転新築開院しました。

(注:6/2 写真を追加し、内容を追記の上、東北大学青葉山新キャンパスの記事を分離しました)

Img_9632 Img_9628

仙台厚生病院移転開院

 病床数は、広瀬町の旧病院と同じ409床ながらも、病室の全てが個室となり、駐車場も従来の3層自走式立体駐車場(200台)から、平面で400台と、収容台数は倍増しました。平面駐車場は南と北に分かれており、北の方が広め。ただ、以前は立体駐車場で雨の日などは殆どぬれずに病院の建物に入れましたが、動線としてちょっと長くなりました。なお、診療を受けた際の駐車場料金は300円(以前は200円)。

Img_9633

 公共交通のアクセスも、旧病院と変わらず至近の幹線道路(北六番丁通)にバス停(堤通雨宮町)が設置され、東仙台営業所や鶴ケ谷団地方面の市バスが利用可能で、従来の八幡町、愛子方面からの利用者も、北四番丁駅前のバス停でカバーしています。

 そもそも、地下鉄駅からのアクセスは格段に向上し、これまでの北四番丁駅徒歩20分程度から徒歩6分程度に劇的に短縮しました。

 仙台厚生病院は、約10年前の県内への医学部設置構想に乗って東北福祉大や東北学院大学と組んでの附属病院化を模索しながらも組み合わせに迷走し、宮城大学栗原キャンパス構想を経て、最終的には当時の東北薬科大学が採択された経緯があります。その後、病院の土地建物をリースバックの形で病院運営していましたが、仙台都心部の総合病院として生き残っていくために、イオンモールやマンションを中心とする9.3haの複合開発地の約半分の敷地を活用できるより良い立地条件の場所に移転することとなりました。

 雨宮キャンパスの再開発については、先陣を切って野村不動産の「プラウドシティ仙台上杉山通」、続いて住友不動産の「シティハウス堤通雨宮町」と合計400戸規模の中層マンションが分譲済で、マンションに続き仙台厚生病院が立地します。

Img_9631

なお、土地を東北大学から購入したイオンモールのSCは来年秋の開業に向けて着工したばかり。

Img_9627

Img_9630

イオンモール開業段階で、移転構想段階から20年近く経過することとなりますが、中心市街地に近接した最初で最後の以上のまとまった面的な再開発となりました。

厚生病院の内部へ 

 先日、病院に用があり、初めて中に入りました。

中に入ると、広々とした吹き抜けのロビーがありました

 Img_9609

Img_9604

ホワイトと木目調の落ち着いたデザインです。

主な診察のフロアは1~2階。3階は手術室、4階にレストラン、5階以上は入院病棟となります。

各診療科の受付書類を挟むクリアファイルの裏面がに、平面図がついており、移転後初めてながらも分かりやすかったです。

Img_9611 Img_9606

1階には病院にはよく入っているローソンが。

Img_9620

 なお、以前にあった七十七銀行のATMは廃止され、ローソン内のローソン銀行ATMを利用する形になります。

以前2階にあったレストランは4階へ。ラーメンやうどん、どんぶりもの、定食など、選択肢は豊富です。ガラス張りで明るい印象でした。Img_9612_20240601234501Img_9618

 そして、屋上庭園に面し、南側の県庁、ドコモビル方面の眺めも良かったです。なお、屋上庭園は訪問時はまだ閉鎖されており、屋内からの撮影です。

Img_9617

 なお、再診の受付も、支払いも機械化され、スムーズに。診察券を入れると自動的に受付してくれます。

 また、診察待ちの状況や薬の準備具合も大型モニターに受付番号が表示され、分かりやすくなりました。

とにかく、以前は混雑しすぎて座る場所がなく、立って待つことも多かったことと比較し、診察待ちスペースが広々としてストレスをあまり感じることはありませんでした。

Img_9609 

総合病院移転新築の流れについて 雑感

 この10年、仙台市では総合病院の移転新築が続いています。

 10年前の2014年には、仙台市立病院(若林区清水小路⇒太白区あすと長町)、2019年に仙台医療センター(宮城野原内で移転)、2021年にJCHO仙台(青葉区台原⇒泉区紫山)、2022年に仙台徳洲会(泉中央駅西側⇒駅東側の高玉町)が移転しました。

 これだけ主要な病院が建て替えをしていると、残された病院としても設備の高度化を進めて行かないと、患者獲得に後れを取り、経営的にも経ちいかなくなる不安が出てくるのでしょう。もちろん病院の新築サイクルは30~40年なので、そのサイクルでやむを得ず移転した病院が大部分ですが、この厚生病院はまだ30年経たない中で、東北大雨宮キャンパスの移転に伴う再開発に参加する形で早めの移転にこぎつけたのは、そういうライバル病院との競争から、より街中に近い一等地への移転を決断したものと思います。民間ではないにせよ財団法人という経営形態から、そのような判断をしやすい面も。

 一方、現在県が進めている4病院移転は、公営もしくは公的な性格を持つ病院で、全て築30年を超え、日赤病院と労災病院は40年を超えており、いずれにせよ建物や設備の更新は必要な時期となっています。とはいえ、公的な病院としての重要性はあれども、公的であるだけに、昨今の緊縮財政もあり、そのままの建替えは難しい状況であることは認識しています。

 公的病院は政策的に必要な分野を優先し、民業圧迫しないようにという原則があり、その点県立がんセンターと日赤病院の統合移転は、名取以南の総合病院の少なさという、地域的な医療資源のバランスを整える意味から、進めても良いものではと考えています。


 そもそも、日赤病院は現在の福祉プラザの場所にありました。市立病院が現在のタワービルの場所から昭和55年に東北学院大学五橋キャンパスの場所に移る際に、道路向かいの目の前にあった日赤病院を仙台市が八木山の市有地に追い出す形で移転されられた経緯があるようです(病院HPから)。そして、現在の日赤病院は、あすと長町へ移転した新市立病院に患者を取られ経営難になったという因縁もあります。地下鉄東西線もモノレール計画の時には日赤病院付近駅が設けられるはずが、手前の動物公園駅までになってしまったことで、日本赤十字社としては仙台市に良い思いはしていないでしょう。


 なお、その日赤病院はかつては県立病院でもあった(仙台赤十字病院併設県立仙台病院)という背景もあり、県の求めに応じて県立がんセンターとくっつくのは先祖返りというか自然なことかもしれません。国道4号バイパス沿い、館腰駅からも遠くはなく、東部道路の名取中央スマートインターにも近接しているので、アクセス的には十分な場所にはなります。進め方は強引とは感じていましたが、協定も締結され、淡々と進められていくでしょうね。

 一方、労災病院の富谷移転は、労災病院と新厚生病院が直線で1㎞ない位近くになってしまったこと、老朽化が進んでいることから移転は必要になるでしょうが、名取からの県の精神医療センターの移転を合わせ技にしたこと、公共交通の便の悪い場所に無理やり移転させる形になり、医療スタッフも十分に移ることができない場所であること、そして、富谷市に総合病院はなくとも、近接する泉区に2つの総合病院(JCHO,徳洲会)が近年移転新築され、その点が無視されていることから、この計画については賛成はできません。

 いずれにせよ、高齢化による人口減が進み、急性期患者の減少とともに、医療スタッフの確保も難しくなることから、医療の世界だけを聖域として守っていくことはできないでしょう。

 それにしても、病院に限らず公共施設の再編の際に必ず出てくる県と仙台市の争い。本来は県と市で協議しながら進めて行く話であり、それができないのは残念ではあります。


関連記事


 

スポンサーリンク

 

 

 

 

 


| | コメント (0)

« 2024年5月 | トップページ | 2024年7月 »