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2023年4月21日 (金)

東北学院大五橋キャンパスへ集約

 令和5年4月1日に,泉キャンパスと多賀城キャンパスから,仙台市立病院跡地に新設された五橋キャンパスと本部が位置する土樋キャンパスへ基本的に集約が図られました。

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過去記事

 東北学院大学 五橋キャンパス完成 (R4.12.4)


五橋駅からキャンパス内に

 講義の無い週末に,ふらっと寄ってみました。五橋駅から。

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 以前の市立病院口が荒町方面口と改称されていますが,新キャンパスの開設で「五橋キャンパス口」などとの名称再改称はないようです。

   看板自体には,五橋キャンパスが記載されています。

 なお,反対側には,福祉プラザ方面の南1出口があり,こちらは土樋キャンパス方面になりますが,この方面は狭い通路の中アップダウンがあり,あまり多くの学生が通るようには作られていません。

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 荒町方面口を進むと,右側にエスカレータが見えてきます。エスカレータは上りのみです。張り紙により五橋キャンパス方面と案内されていますが,普段は多くの学生が向かうでしょうから,迷う心配なしと思われます。

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 なお,計画ではキャンパス内高層棟地下に直結するはずのこの位置は,前回12月の記事とは変わらずの状態で,工事は行われておりません。

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 この,キャンパスとの地下直結通路工事が着手されない理由として,資金面かなと思っていましたが,土樋キャンパス方面の南1通路の狭隘さから,土樋キャンパス相互の利用者が増やす要素となる地下直結を見送っているのかなと。

 五橋駅は,北はNTT付近,南は以前の市立病院や福祉プラザと1つの駅で広い範囲をカバーさせるためでしたが,南北に長い地下通路が整備されています。特にNTT側の北側の通路は通路も広く長く感じます。五橋キャンパスからの地下直結を図るためには,南1出口方面の抜本的な拡幅が必要なのかなと。

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地上から五橋キャンパスへ

 地下鉄駅から,地上に上がったところで,五橋キャンパス方面出口が開いていました。10年前までは市立病院方面出口があった場所。不思議な気持ちになりました。

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 ちなみに,前回記事での訪問時では,シャッターが閉じられていました。

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 キャンパス内から,振り返ってみると,このように,高層棟1階とを結ぶ屋根付き通路が整備されています。

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真新しいキャンパス内へ

 右側が高層棟,左側が講義棟です。ゲートがないので,構内には普通に入ることができました。なお建物内部への入場は,学生証などによるゲートで管理していました。

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 学院大HPより,五橋キャンパスの配置概要です。

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 4つの建物を2階レベルで繋ぐ「TGUリング」に登ってみました。

休講日の週末なので,誰もいませんでしたが,平日はかなり賑やかなようです。

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 講義棟は比較的低い7階建てです。多くの学生が昼休みに移動することを考えると,講義棟を高層にしないのは納得。ガラス張りで各講義室の蛍光灯が丸見え。羨ましいピカピカさ。

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 愛宕上杉通方面を。講義棟の西側には突き出たデッキのような開放的なスペースが。

 夕日がきれいでした。普段は学生のたまり場になっているんでしょうね。

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 高層棟に目を向けると,1階に見えるのは。

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 4月にオープンしたばかりの「EPRONT」。

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 当然ながらも,開いていませんでしたが,意外にコンパクトでした。ほぼテークアウトを見越した座席の少なさです。

 隣のホール棟の1階には学食が。2つのキャンパスを集約した割には,それほど広くはなさそう。混雑が見込まれますね。

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学生のまち復活

 キャンパスの統合に向けた好影響については,上記過去記事のとおりですが,twitterで見る限りでは,五橋周辺に若者が急発生したような印象です。

 それも,これまでの倍,そして,これまで土樋に通っていたのは3~4年生。

 4年生は就職活動などや研究室にこもっていたり,時間が自由で昼食時間の分散も可であり,また中心は講義の多い3年生でした。それは東北大の片平キャンパスも同様で,研究室の4年生や院生中心だから,大学が位置していてもどちらかというと静かな印象が。

 それが,必死に単位を取らなければならない1~2年生(+教養学部の3~4年生)が泉キャンパスから全員移ってきて,多賀城からの工学部は全学年。理系は特に講義をさぼれないし,そうすると,全く界隈の雰囲気が変わったのも納得。

 昼食難民大発生とか,土樋との行き来で歩道が占拠されている等の声も聞こえてきています。

 でも,少なくとも昔に戻っただけなのかと。

 これまでは,都心にあった学院大だけでなく,旧SS30の宮城学院女子大,片平から川内・青葉山に移った東北大などの学生が闊歩していた時代の学都仙台の象徴の都心に学生が戻ってくることは喜ばしいことでしかない。

 大学だけでなく,高校はトラストタワーの旧学院高校,五橋キャンパスの前(旧市立病院)の更に前は三島学園(現生文高),電力本店の旧白百合学園などの学生が郊外に移ってしまいました。

 そのうちの少しが都心部に戻ってきたということで,都心部の賑わいが復活するきっかけになります。

 まぁ,電車の混雑もそうですが,4月は慣れない学生が集まるのと,まだ緊張感があり真面目に受講するため,集積のデメリットが出ているんでしょうが,この状況をビジネスチャンスとみて,周辺の荒町や連坊付近を含め,飲食店のオープンラッシュは続くでしょうし,徐々に最適化がなされるのではと。

 

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