ゆりあげ港朝市へ&復興に向けての雑感
昨日、たまたま車を走らせていて、ふと思い立って閖上に行ってきました。ようやく復興区画整理事業が始まったばかりながらも、防波堤などの工事が行われているのみで、閖上に行ったのは確か2年ぶり位かなと思いながらも、建物の基礎が物悲しげにそのまま残っているなど、変化がほとんどないことが悲しい。
とはいえ、唯一に近い前向きな変化が、このゆりあげ港朝市がイオンモール駐車場から元の場所に戻ってきたこと。確か輸入住宅のセルコホームの関係か、カナダからの資金提供で朝市の店舗部分と、メイプル館という共用棟的な建物が整備されていました。
朝市に来るのは震災後は初。たぶん5,6年ぶり位。朝に弱いのでなかなか。。。そういうたまたま行った昨日も到着が11時前でお世辞にも早いとは言えない時間。買い物目当てで行ったわけではないにしても、当然ながらここの売りのおさかな関係は、ほとんど売り切れか撤収済で、コロッケや餃子、野菜、乾物などのお店が多少開いている位。
それでも、11時位でも駐車場は半分位の入りで、それなりに賑わっていました。河北の記事や写真を見る限りでは、前日11日の初市は1万5千人の大賑わいだったようで、うれしい限り。
即席的に海鮮バーベキューができるやぐらみたいなものもあり、買ったものがすぐ食べれるのは良いなぁと。雰囲気もゆ~るい感じ。
遅い朝食を食べたので、おなかも減っておらず、コーヒーだけを飲んで次の目的地へ行こうと思っていたのですが。。。
メイプル館を冷かしてみようと、中に入りました。早速入口においしそうなメニューが。これは浜や。紹介するまでもない閖上の有名店。あすと長町にもありいつも賑わっていますが、ここにあるのは初めて知りました。相変わらず豪華でおいしそう。長町店よりも安い?
もう一つの海鮮系のお店は、食事処千屋。ラーメンもあります。
海鮮丼がどれもおいしそう。ほとんどが1000円以内でお財布にも優しい。
中に入ると、手前側が多少の物産エリアで、奥側がフードコート形式での上述の2店を含め飲食店が4,5店舗並んでいます。他はコーヒーショップと中華料理屋。
朝食から2時間しかたっていないのに、急に腹が減ってきて、急きょここで食べることに。ウニ系のどんぶり900円(安い!)にもひかれたのだけれど、本マグロ丼が1200円→当日限り700円に負けて、頼んでみました。
おいしかったけど、ちょっと少ないかな。味噌汁のお椀と同じくらいのサイズ。今度は初志貫徹でウニ丼を頼むか。
外は気持ちの良い青空ながらも、さすが1月で風が冷たいため、屋内のこのメイプル館に結構人が集まっていました。
12月に亘理荒浜の鳥の海温泉&きずなぽーとわたり(物産館)に行きましたが、どちらにも飲食スペースがないので、ちょっとさびしく感じたのと好対照。
亘理の場合は、漁港の近くにあったほっきめしの有名店浜寿司が、同じ町内の内陸部6号線沿いへ、また、もう一つの有名店「あら浜」は仙台の本町へ移転してしまい、荒浜でははらこめしやほっきめしなどの地元の味を楽しめる有名店がなくなってしまいました。
浜やもあすと長町とエスパル、それに美田園のさいかい市場にありましたが、地元閖上にこのような受け皿ができ、そこに出店というのは、さすが閖上浜の心意気!というキャッチコピー通り。
復興自体は亘理荒浜の方が進んでいながらも、日祝だけとはいえ賑わいの拠点が閖上に復活したのは、復興への希望を感じました。
当日はこんな快晴で、目の前の貞山掘がキラキラしてすごく気持ちの良い日でした。この場所もかさ上げ対象で、将来は大幅に地形が変わってしまい、この景色も失われてしまうことに。
宮城の海沿いの港町は、やっぱり海を身近に感じてきた場所。将来また来るかもしれない津波災害を繰り返さないためにも、防潮堤等の必要性は否定できないが、気仙沼や唐桑で議論が大きかったように、全部覆ってしまったら、海辺の魅力が失われてしまう。
これは難しい問題だけど、メリハリが必要なところで一律に枠をはめてしまったことについては個人的にはいまいち賛同はできない。
日和山
よくニュースで出てきていますが、恥ずかしながら初めて行きました。震災前にも近くを結構通っていたはずで、昔は20年前には夏祭りの花火を見に来た覚えがあるけど、その時には全く気にしなかったこの日和山。
周りになにもない今は、標高6.3mといえども非常に高く感じます。ここから見える光景は何とも言えない。佐々直の工場跡地が中途半端に残っているのが物悲しい。
地元に思い入れが強い人が多い閖上だけに、震災後の復興のありかたを巡って住民がバラバラになってしまったのは残念ですが、佐々木市長も「閖上を再興する」という思いの強さ故の頑なな現地再建計画の推進だったのでしょう。
とはいえ、このまっさらな状態からどのように街を作っていくのだろうと一抹の不安は感じました。産業ゾーンは残すとしても、住居ゾーンは空港周辺の北釜地区のように美田園駅の北側などに集団移転させる選択肢を用意した方が良かったのでしょう。今更ながら。
震災から早4年。失われた時間は戻ってこない。でも前に進んでいくしかない。その一筋の光をゆりあげ港朝市で感じることができた気がします。
| 固定リンク
「震災」カテゴリの記事
- 続々と再開発のニュースが(その1)オリックス再開発始動か?(2023.12.12)
- 札仙広福の人口密度比較 その2 サミット開催中!広島編(2023.05.20)
- JR東日本 ローカル線の行方(2022.08.13)
- アクアイグニス仙台 4/21オープンを前に(2022.04.20)
- アクアイグニス仙台 4月21日オープン(2022.02.26)
コメント