鉄道の内陸移設(3)
最後に、常磐線の移設について、忘れないうちに。
宮城県内については、現在は津波被害がなかった亘理以北の運行にとどまり、うち浜吉田―駒ヶ嶺は数年後の開通を見込んで1kmほど山側に移設となり、ルートも決まり用地買収が始まった段階と思われます。
仙石線も同様ですが、震災当初は最短2年程度での開通との話だったので、自分も将来世代のことを考えると移設に賛成でした。
山元町の特殊性
特に移設に熱心な山元町は、従来の集落が山側の国道6号沿いにありながら、過去に鉄道を忌み嫌い海側の何もないところに通させたという、どこにでもあるような話があり、そのせいで、全く顔のない、何もない町に。小規模なスーパーとホームセンターが1件ずつある以外は、まともな買い物できる場所が町内に皆無で、相馬や亘理へ依存していました。
あるのは温暖な気候と、仙台への通勤通学圏であるというメリットを生かし、昭和50~60年代には、仙台通勤者及びリタイヤ組をターゲットとした小規模建売住宅が浜吉田駅、山下駅周辺に結構建てられていましたが、近年の地価下落と都心回帰により、新規に移り住む方々も激減し、通勤者もリタイヤして高齢化が急速に進行し、隣の亘理町と好対照で厳しい行政運営を強いられていました。
それでも、平成17年には、亘理町との間で進んでいた合併・市政施行の話も、亘理町の当時の町長がほぼ拮抗していた住民アンケートの結果を強引に解釈し、合併をご破算にしました。山元町の高齢化率の高さと国保税の高さなどで、市になるというメリットとデメリットを天秤にかけての判断だったのだろうと思いますが、引き続き山元町側からは亘理町へのラブコールを掲げる町長が続いていましたが、この震災でそんな雰囲気は完全に吹き飛んでいます。
仮に合併していたら、2町で市制施行した東松島状態だったんだろうなと。人口の多い旧矢本と少ない旧鳴瀬。旧鳴瀬の方が壊滅的被害を受けながらも、人口の多い旧矢本重視になっている状況をみると。
よって、単独で存続したからこそ、ワンマンと言われながらも、強いリーダーシップにより、鉄道の内陸移設と新駅周辺への復興住宅や集団移転先の集積を進め、顔のある町を作ろうとしています。
ただし、当然ながら、元の駅周辺の住民にとっては駅が遠くなるわけで、簡単に許せるわけもなく、反対運動も起きながらも、リタイヤ組でめったに電車も使わなさそうな方々が活動しているような印象でした。気持ちはわかりますが。。。あれだけひどい被害を受けたところに鉄道や駅を復旧させても、特に若い世代は住みたくないだろうし、町としてもじり貧になることが分かり切っているので、津波被害が少ない山側に新市街地をというのもわかる。
移設完了までは遠い。。。
なので、この理念には、自分は賛成ですが、ただし早くて平成27年度と言われる移設完了まで、山元町民だけでなく、南側の新地・相馬・南相馬の住民が仙台への直通鉄道を奪われる状態になり、特に山元町はもともと高校生も仙台方面への通学者が多かったのに、代行バスの不便さもあり、震災後町に見切りをつけて、町内の賃貸物件不足もありせっかくだからと岩沼以北に引っ越している方が多く、町の人口は震災前1万6,7千人でしたが、震災後数か月で約3千人も一気に減ったようです。
同じ被災自治体でもこんなに率として一気に減少したところはないのでは。女川などは死者行方不明者の率でいうと一番ながらも、実際に他市町へ借り上げ仮設等で引っ越しながらも、住民票は女川においている人が多いという話。元々の町への愛着が強いようですが、山元町の住民は住民票も移してしまい、戻る気持ちが弱い方々の割合が高いとか。
だから、仮に数年後にやっと鉄道の移設が完了しても、この人口減少社会で、わざわざ仙台通勤者が山元町に住居を求める方は少ないでしょうし、一度出て行った方が戻ってくるかというと厳しいかも。山元町にとっては、進んでも引いても地獄という厳しい状況で、本当に気の毒だなぁと思います。
福島県側への影響
なお、南側の相馬市はとばっちりを受ける形になっており、仙石線が寸断されている石巻市が、一応本線・石巻線経由が生きているのと違い、ここは完全に鉄道としては陸の孤島になってしまっています。一応、JR代行バスのほか、相馬・新地から仙台までの高速バスが救済措置で走っており、6月からは増便とJR定期運賃で乗れるような補助措置が講じられていますが、たまに仙台市内で見かけるバスを見ても、数人しか乗っていないようで、相馬からも通勤通学の不便さを嫌って仙台近郊へ引っ越した方が多いのか。福島市や郡山市よりは低いとはいえ、原発からの距離の近さから放射能を避けてというのもありそうですが。
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